アイドルと青春とわたし

オタクの戯言と備忘録を気の向くがままに

私が櫻井沼にどっぷりと浸かるまで

☆一般からお茶の間ファンへ~扉を開く時~

2006年秋当時10歳、メンクイ祖母*1が突如「翔ちゃん可愛い」と言い出した。当時お笑い番組くらいにしか興味がなく、ドラマも見たことがない、俳優やジャニーズでキャーキャー騒いでるクラスの女子を少し冷ややかな目で見ていた私は「あぁカッコイイな、結構好きな顔」とは思ったもののそこでスルー。

(こんな事言いつつ実は当時V6の長野くんが好きだった。茶の間ファンとも呼べないレベルだったが…)

当時は全国区の嵐の番組もなく音楽番組も見ていなかったため櫻井翔に触れることなく1年経過。2007年秋、転機が訪れる。運動会のダンスの曲が'Love so sweet'になったのだ。周りの女子達は「花男花男!」と騒ぐ一方私は'まあ聞いたことある曲'程度。学校で練習したダンスを家で母に見てもらいたかった私は(私にも可愛い時代があったのさ)YouTubeで音源を探した。そこで出会ったのがLove so sweetのPVである(今思えば当時は規制が緩かった)。

«ビビッ?!顔面ドストライク…こんな人がこの世に存在していいんですか?!»

そこで私はショーウィンドウの中の彼に堕ちたのだ。

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(因みに私はここで初めて相葉ちゃんのことを志村どうぶつ園の人=嵐のメンバーと認識しました笑)

それからダンスのことなんて忘れてひたすら何度も再生。«やっぱりカッコイイ…»私が櫻井翔への扉を開けた瞬間です。

翌日から時間があってPCが空いているときは画像動画検索の日々。宿題くんは深夜で見れなかった(録画の仕方もわからなかった)がひみつの嵐ちゃん(ひみつのアラシちゃん)が始まり、習い事終わりに親の目を盗んで怒られながらも視聴。«あっカッコイイだけじゃないんだ…面白いしいじられキャラもできる、凄い人»

 

☆お茶の間からの昇格
更に1年経過、2009年4月中学生になった私。嵐がノリに乗っていた10周年。漸く録画の仕方を覚えて嵐ちゃんと宿題くんも毎週しっかりと見るようになっていた。そしてザ・クイズショウ。白神山を見たとき私の中で何かがはずれた。それまで'カッコイイ'とか'面白い'という感情しかなかった私の中に'可愛い''愛でたい'といった感情が芽生えたのだ。14歳も年上の!しかも男性に!
その頃から他メン4人にも興味をもつように…
定期テスト前と期間中は部活がなくなるのでここぞとばかりに動画あさりに没頭(当時の私にはテスト勉強とか家で勉強するという概念はなかった)。
2009年秋、再び転機が訪れる。実験SPの放送。3Dメガネを作成し準備万端、過去の再放送なども合わせて何時間もテレビにはりつく私。付き合わされる家族。そこでまさかの事態が…






母が嵐に堕ちたのだ!40数年ジャニーズはおろかアイドル自体に興味がなかった母が!!そこからの母の行動は凄い、母は強し(←違う)。私達が学校に行っている間にネットであらゆる情報とエピソードを調べ上げ帰ってきた私に教えてくれた。そして母は「これは買わないと」とPV集をAmazonでポチッと。2009年暮れの出来事。初めての課金。(ここから暫くは母が全額払ってくれていた)
毎日が嵐嵐な私と母*2。気付いたら妹*3も嵐に堕ちていた。そして2010年春、5×10魂のDVDが我が家に。初めて見るアイドルのコンサート。キラキラしていて私が今まで知らなかった世界。すぐ母に「私も行きたい!」と言った。調べる母。「FCに入らないといけないんだって」。そして2010年5月晴れてFC会員*4に。

☆ぶつかる壁、そしてオタクへ
2011年初め、嵐嵐な日々が変わろうとしていた。受験生になり塾に通い始めた。そこで見た現実…志望校合格には程遠い成績(そらそうだ、勉強していなかったんだから)。そんな中、高校説明会帰りに両親と初めて踏み入れたジャニーズショップ。«あぁ仲間がいっぱい。これがジャニオタか…»ただただ圧倒された。と同時にまたネジがはずれた。
だが受験生、増える勉強時間、減る嵐に使う時間。そして1年後無事に高校生に。高校生になる直前の春休み、私は決めた「嵐は私の中学生活と共に置いてこよう。」と。そう決めたのには2つ理由がある。1つ目は受験で距離を置いていたため。2つ目は(こっちが主な理由)私が通うことになった高校は進学校、アイドルが好きなんて絶対に馬鹿にされると思ったため。
だが簡単に辞めれるわけがなく宙ぶらりんなまま入学。すぐに始まった運動会の練習。初回の曲発表…


♪smile again I'm smiling again~


?!?!?!?!
まさかの感謝カンゲキ雨嵐。叫びたい気持ちをぐっと抑えポーカーフェイス。周りから聞こえてくる「キャー」という声。«ん?今叫んだやつが何人かいるぞ»こうして仲間を見つけてしまった私はファン続行&エスカレート。
同志を見つけてからはとどまることを知らない'翔ちゃん愛''嵐愛'
そして2012年秋、友達に連れて行ってもらいコンサート初参戦。肉眼では見えない席だったけれどあの空気感、夢のような世界、«あぁ嵐って本当に存在するんだ、アイドルって凄い»公演中の幸福感、終演後の切なさ。«またすぐにでも行きたい!»益々虜に。

そして2012末から2013年初めの神カル2撮影期。そう、翔ちゃんビジュ???期(笑)その時も好きな気持ちは変わらなかったし、というか寧ろ増していた。その時思った、「ん?これはもう私オタクだな」こうして私は現在に至るまで益々溢れる愛と共に櫻井沼にどっぷりと浸かっているのである。

*1:祖母はZEROを2006年の放送開始から月曜日は毎週かささず見ているためそこで知ったものと思われる

*2:母は色々経由して智担に

*3:最初は私のマネして「翔くん」と言っていたがすぐに智担に

*4:色々揉めた結果、諸事情により妹名義になりました。メアドは私。今とは違う名義です。